SUSチーズ継手製造法経歴
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昭和24年 |
足利市小俣町にて大川鍛造所として創業 |
一般熱間鍛造 |
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昭和26年 |
群馬県桐生市稲荷町に移転 |
熱間型込鍛造を主にする |
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昭和35年 |
桐生市境野町、現住所に移転 |
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昭和56年 |
熱間鍛造以外にも溶接を始める |
各種プラント構造物等始める チーズ継手溶接始める |
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昭和57年 |
TIG溶接開始 |
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昭和60年 |
10月(有)大川鍛造所を廃業する |
TIG溶接チーズ継手専門とし各社に係わる |
1、経歴
1951年10月(昭和26年)設立の(有)大川鍛造所に入ったのが、1969年(昭和44年)でした。個人的には鉄工関係は嫌いで、違う道に進みたかったのですが、その話しは後々に別稿として、当時は純粋な熱間鍛造でした。取引先は、小倉クラッチ株式会社・千代田工作所株式会社・明治機械株式会社足利工場・西澤鉄工所株式会社・加藤鉄工株式会社等々、結構有名な会社と取引がありました。
1970年頃に西澤鉄工所の前社長西澤高次郎氏(父の友人)に呼ばれて、氏の設計製造した試作機、径が1m以上の大径エルボ用の、2口同時加工の切削機を見ました。これがステンレス鋼継手との初めての出会いでした。V字形で斜め上から2台の回転する刃物が降りてきて、2ヶ所を同時に削るという物です。西澤氏は、私が鉄工関係の仕事が嫌いなのを心配して、現社長の西澤一郎氏を紹介し、友達に成る様に薦める積りのようでした。一郎氏は当時まだ群馬大学の学生であったので、親しく付き合うまでに時間は掛かりましたが、以後友人に成りました。なお、これを見てから鉄工関係は更に嫌に成り、特に切削に対しての恐怖心が付いてしまいました。この試作機は普通の工場には入らないくらいの大きさで、バリバリと切り粉が飛んで来て全工程が終了して停止するまで近づけないという、恐ろしい代物でした。これが更に改良を加えて、エルボ・レジューサー・チーズなどの、現在の2方削り・3方削りの専用機に成って行きました。
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2軸切削器です。これは3方加工機だが、母管部のみの切削に使っている。 |
3軸切削器。取り付け治具の部分が回転する。 |
この頃、1970年から1in以下のステンレスラップの鍛造も始めました。削りよりも鍛造の方が楽です。西澤鉄工所は板から深絞りで作る、シームレスラップの研究と製造を行っていました。現社長の西澤一郎氏は、ラップ用に更に改良を加えて、全自動で全表面を削る専用機を作りました。極めて小型でありながら、性能も良く素晴らしい物です。
彼は更に父親の完成させたシームレスラップの製造法を根本的に改良して、全工程に亘っての、ほぼ完全な自動化を完成させました。他社製品と見た目は同じですが、品質管理はもちろん、素材のフローラインを活かしての最高の品質になっています。材質も全ての金属が加工可能だと思います。製造機(油圧プレス・切削機等)自体を全く独自に作り替え、型も30年の研究の成果ですから、見ただけで真似てもうまくいかないでしょう。
ある事情から、もう鉄工からは手が引けなくなり、真剣にステンレス鋼を学び始めました。もう時効でしょうが、西澤氏の勧めで群馬大学の偽学生として、実は教授は分かっていたらしいのですが、数年間ステンレス鋼・チタン・アルミニウム等の特殊鋼を中心に『金属学』を教えていただきました。同じ頃に秋田大学の通信教育で『冶金学』も学びました。自宅で合金を作る実験で、毎回失敗してとんでもない事故を起こしかけた楽しい思い出も有ります。勉強を始めると、実にステンレス鋼や特殊鋼は面白くて、鉄の鍛造に興味が無くなってしまいました。教授の勧めで塑性加工学会の研究発表にも参加し、塑性加工の、特殊鋼の更なる面白さを知りました。これが現在ダメに成ってしまった根本原因でしょう。学問としての知識と20年間以上の職人としての経験も、今の日本では全く必要の無い物になったようです。
西澤鉄工所で、シームレスラップの技術がほぼ完成した頃、西澤鉄工所で営業事務をしていた小沢氏が「西沢継手」を設立し、レジューサーの製造を始めました。後に2in以下の溶接チーズも作り始め、溶接行程を請け負う事に成りました。この頃には仕事量の少ないステンレス鋼にのめり込み、従業員もほとんどいなくなり、趣味のようにTIG溶接専門に成って行きました。諸般の事情により小沢氏の仕事から離れて、幾つかの会社の下請けとして継手溶接をしてきました。それでこの製造法の利点と問題点に気付きました。
今から思えば、あまり製法の欠点などを調べるよりも、仕事に打ち込み、「稼ぐ事」に専念すればよかったと反省している。
忘れていけないのは、池内さんの多大な影響も有りました。一緒に薄肉バルジ式チーズ製造の試作をしました。当時池内さんはベンカンの技術部に所属して、薄肉バルジの研究をしていました。ベンカン社内での研究は半ばで断念したようで、その後は私どもの工場にあった油圧プレスで、硬質ゴムを用いて試作研究を続けていました。この時に多くの事を学び、ステンレス鋼の塑性加工に更に興味を抱いてしまったのです。これが当に「運の尽き」でした。池内さんは実践的で、ほとんど困難と思えるパイプでの塑性加工を成功させました。自慢にしたいのは、この薄肉バルジに関して、池内さんのいないときに曲部を変えて成功させました。成功したときの感激は言いようもないものでした。
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| 特殊なYピース。1B×1m。仕上げ前の状態で、完成品はすき間が無く、肉厚は全て均一。 | 池内さんお得意のYピース。各部分の肉厚が全て同じに成っています。 |
池内さんは後に独立して「北辰工業株式会社」を設立してエルボの製造を始めました。成型用のマンドレル、材質は『HRC-816』という耐熱耐磨耗鋼で、この鍛造で何度かのお付き合いもありました。詳しい方はお解かりと思いますが、旧日本海軍が開発したという、この材質の鍛造は難しく、鋳造が一般的です。大変に高価で扱いにくい金属です。現在も使われているのでしょうか。この熱間鍛造は私以外には出来ないと思っています。
因みに、熱間鍛造は1100℃〜1250℃が理想です。理想というよりも、この範囲以外では難しいと思います。1100℃以下では全く動きません。手で持っての(当然ハシでつかんでです。直に触ったら火傷しますから)鍛造では手に来る衝撃で痺れてしまいます。1300℃を超えてドロップハンマーなどの衝撃では、粉々になって飛び散り危険です。油圧プレスやフリクションプレスなどで曲げ加工をしました。ただし高温過ぎたり、一度の加工伸びが大きいと割れてしまいます。少し曲げて、炉でゆっくりと加熱して、再加工を繰り返します。
更についでながら、60φの径の場合、1時間以上をかけて熱します。急激な加熱では内部まで加熱されていません。表面が白くなるくらい1200℃で鍛造した場合、細くしようとすると中心が延びません。直ぐに切断してみたら内部が未だ黒かったのを思い出します。かなり熱伝導が悪いようです。最近はマンドレルには使っていないようです。この金属自体も作られているのかも解りません。高価な金属ですし、塑性加工が出来ないようでは使い切れないのかもしれません。チタン・ステンレス・アルミニウム・耐熱鋼等々の特殊鋼の熱間鍛造を経験しましたが、『HRC−816』だけは忘れる事が出来ません。
「北辰工業」の製品は主にエルボですが、時々エルボの曲部の先に新たに枝管も出していました。時にはピッタリと付いているエルボで、縦に割ると外側と中側の肉厚が同じという、製造法がどうしても解らない、不思議なエルボも作りました。エルボというよりは、1mのパイプを真ん中から折り曲げて作ったような形状で、径も肉厚も変わらない、不思議なものです。(上記画像:現物を見ないと想像も出来ないと思います)これらの製品を見せ付けられて、ますますパイプの塑性加工に興味を抱き、ついにステンレス鋼継手チーズの溶接専門になり、今のような状況です。
なお、現在池内さんは「アルミテック」社長として、アルミ継手各種の製造販売と、各種特殊鋼の様々な継手を注文に応じて製造しています。ほとんど何でも作ってしまいます。
池内氏・西澤氏、そして西澤一郎氏共に個性の強い人ですが、憧れの人物です。
池内氏とはその後お付き合いは切れてしまいましたが、いつも注目していました。今回、自分のHPを立ち上げるについて、どうしても紹介したかった人です。
西澤高次郎氏は既に亡くなってしまいましたが、仕事以外にも釣れない魚釣りに付き合わされたり、父や西澤氏達の不良オヤジ連に引き込まれて夜遊びを教えられました。何とか鉄工関係から逃れようとしていた私を、ベンカン・宝幸、その他の工場を見学に連れて行き、詳細な解説で動きを教え、それが現在の自分の基礎に成っています。実践面での先生であり、最大の恩人です。
時間の余裕と資金と才能が有れば、各種のパイプ加工をしてみたいものです。レジューサー・エルボ等々、より効率化に取り組み、国内だけではなく外国も相手にした製品を作ってみたいものです。現在輸入されている物は、熱処理や加工で些かの問題を感じています。安いだけではなく、より品質の安定した製品を作ってみたいものです。それ以上に、職人的な技術など必要無くなった日本ではなく、外国、特に中国やベトナムで仕事がしてみたい。
大川溶接所
桐生市境野町7-1781-5
Tel:0277-44-5977